故人を偲んで、、“岐阜の義妹”さん書込みありがとうございました!

前回更新して以来、この日記を見ていなかったもので、返事が遅れて申し訳ございません。もともとブログの更新頻度は高くないのですが、今回ばかりは放置しながらも、どこかでご家族の方がこの日記を見て頂けるのではと密かに期しておりました。こうしてご連絡を頂いて、ご家族の様子を少しでも窺うことが出来ましたので、(言い方が可笑しいかもしれませんが)多少救われた想いがしております。

お義兄さんの生前、私は大変お世話になっておりましたので、今でも感謝し尽せぬ思いでいっぱいです。こちらこそ、本当にありがとうございました。私と同じような思いを抱いている者は非常に多く、実は明日、“お義兄さんを偲ぶ”と称し、名古屋の案件で共に働いていた内輪メンバーでささやかな会を催す予定です。そのメンバーの一人はこう申しております。

“お義兄さん”は間違いなく、私の意識変革のきっかけだったり、一部だったりしています。そのブログが更新されないのは悲しいですが、“お義兄さん”に影響を受けているヒトは沢山いると思います。できればご家族の方に、本メッセージを贈って頂ければと思います。

さて、あまり湿っぽい話ばかりでも何ですので、、、その名古屋の案件で私は約2年程度、お義兄さんと一緒に名古屋−東京間を行ったり来たりしておりましたが、今から考えると、とてもタフでアグレッシブな、そして密度の濃い大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。私を始めとしてなかなか言うことを聞かないアクの強いメンバーが集まっておりましたので、お義兄さんには、さぞご迷惑をおかけしたと思います(笑)。そんな自我の強いメンバーに対して、伸び伸びと仕事が出来るようにお義兄さんはいつも気配って下さいました。我々にとってお義兄さんは、責任感があって、大変部下の面倒見の良い、頼れる上司でした。

あれから数年が経ち、私も2児の父親となりました(2人とも♂ですが)。前の日記にも書いたとおり、私はどんなに忙しくても家族想いなお義兄さんを慕っておりましたので、それを模範として、私もそのように在りたいと考えております。このようにお義兄さんから影響を受けて、その部分部分を継承している人間は、お義兄さんのご家族や私の仲間内のみならず、世の中に少なからず沢山いるのだと思います。

お義兄さんからは、とても“大切なこと”を学ばせて頂きました。形には残らないインビジブルな何かなので、上手く表現が出来ないのですが、それはご家族に託された愛情やたくさんの宝物と近しい、大変尊いものなのだと思います。私もお義兄さんと同じように、自分の子供たちにも、その“大切なこと”をしっかりと伝えていきたいと考えております。